2008年 09月 16日
荒野の電信柱 |
私が調査を始めた1982年、夕方になるとキナンゴの病院の待合室にある白黒テレビの放送を見に大勢が詰め掛けていた。一般にはまだ電気は普及していなかったのだが、電気のある町キナンゴということで、土地の若者が自慢げに私を病院に案内してくれたものだ。当時に比べると今日のキナンゴでの電気の普及ぶりにはなかなかのものがある。電気を引き冷蔵庫を据えて冷たいソーダを販売している商店も珍しくない。またカラーテレビやビデオを放映している、ホテリと呼ばれる軽食堂も何軒かある。この10年ほどの変化である。今年はついにインターネット・ショップまでオープンした(見た感じ、全然はやってないが)。
しかしキナンゴを別とすれば、送電線が近くを通過している地域の屋敷で、電気を引いた屋敷は未だもって存在しない。もちろん離れていれば、メインの送電線から電信柱を立てて電線を引いてくる必要がある。しかし送電線の近くの屋敷なら、初期投資日本円で10万円以下で電気は引けるだろう。もちろんこれはドゥルマの人々にとっては大金であるが、花嫁をもらうために支払う婚資だって、下手をすればそれくらいは軽くいく。裕福な屋敷のなかには、ずいぶん以前から、それくらいのお金をかけてディーゼルの粉挽き機を据えて副収入にしている屋敷もある。誰か電気を引いてみてもよさそうなものだという気もする。
理由はよくわからないが、単に現金がないというだけでなく、電気を引いただけではなんの収入にもつながらないこととか、ドゥルマの人々がかなり頻繁に小屋や、ときには屋敷を移動させることなどもその理由かもしれない。
電気がないとパソコンもつかえないので、私としてはやっぱり不便。そのうち私が電気つきの小屋をたててしまうかも。
by Kalimbo_mwero
| 2008-09-16 21:29
| anthropology
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