+++Retro*Spectrum+++ :anthropology
2013-09-27T22:18:05+09:00
Kalimbo_Mwero
Looking back you just see many colors...
Excite Blog
ムカレート(お元気で) ケニアのキャツども!
http://kalimbojp.exblog.jp/19727179/
2013-09-27T22:24:00+09:00
2013-09-27T22:18:05+09:00
2013-09-27T22:18:05+09:00
Kalimbo_Mwero
anthropology
だるいやつ
するどいやつ
ちょっとなさけないやつ
そして私の服を寝床に熟睡する、見事に手なずけられたカタナ家のキャツ(あるいは私が手なずけられたのか?)
みんなサヨナラ!
一ヶ月遅れのドゥルマ便り(日本にいるのに)も今日で終了。
実は、昨年度から電気はないが、携帯の電波は入るという調査地でインターネットアクセスする試みを続けていました。昨年はノートPCを持ち込んで、それに現地の通信業者(safaricom)の sim を使ったUSBモデムを差してインターネットアクセスを目論んだのですが、モンバサの怪しげな携帯ショップで安さに目がくらんでインチキ・モデムをつかまされてしまい、あえなく敗退。今年は sim-free のスマートフォンに替えたことをきっかけに、それに safaricom の sim を差してスマホでインターネットにチャレンジ。見事にインターネットアクセス大成功!これで現地からブログの更新もできるぞ!!
しかし、電気がないところで一日で電池が切れてしまうスマホは、なんらかの電源装置なしにはほとんど役に立たないことが判明(そんなことぐらい予測できただろうに...)。もちろん歩いて1時間の近所の町に行けば充電できるのですが、調査を第一にという方針から、結局調査地を動かず、スマホは一日5分程度ケチケチと電源を入れて使ってました。当然ブログの更新など夢のまた夢。というわけで、昨年同様、一ヶ月遅れのドゥルマ便りとなった次第です。
でも私の調査地の村に電気が入るのも目前。きっと大きな変化が待っています。
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演出
http://kalimbojp.exblog.jp/19721718/
2013-09-26T23:17:00+09:00
2013-09-26T23:21:50+09:00
2013-09-26T23:15:27+09:00
Kalimbo_Mwero
anthropology
患者を地面に掘った「墓」に横たわらせ、上を土で覆っていったん「埋葬し」、その上で火を焚いたり、その火を薬液で冷やしたりといった後に、患者を再び掘り出し、最後の施術(体中に剃刀で傷をつけ、呪薬をすり込むクツォザkutsodzaという施術)を行うというもの。もちろん患者を横たわらせた穴は上にトタン板を敷き、その上から土をかけて覆うので、生き埋めにはならないのだが、土の重みで枝が折れて生き埋めになってしまうのではないかと見ていてはらはらした。
穴の底に横たわった患者。
穴には枝を渡し、その上をトタン板で覆った上に、土を盛る。
盛り土の上で火を焚き、薬液を振りまき、呪文を唱えながら周回した後に、薬液で火を消す。
患者を再び掘り出し、全身にクツォザを施す。痛そう。
死と再生のシンボリズムを絡めているのだろうが、私の目には過剰な演出と映る。でも彼の施術は、たいそうな評判をとっており、ドゥルマ地域だけでなく、他の地方でもひっぱりだこなのだそうだ。
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野外クッキング(2)
http://kalimbojp.exblog.jp/19710743/
2013-09-24T23:10:00+09:00
2013-09-25T01:23:56+09:00
2013-09-25T01:21:58+09:00
Kalimbo_Mwero
anthropology
というわけで、長い病の全快を祈願した彼女は、元気になった今、ついにその負債を返しにやってきた。
小さな洞窟の中で白い雄鶏を供犠する。
鶏はその場で料理され、関係者によっておいしくいただきました。
ムズカは、妖術使いたちによっても利用されている。犠牲者の持ち物や髪の毛などをこっそり盗んで、ムズカにおいておけば、それだけで犠牲者にはさまざまな災いが訪れる。ムズカは異界との境界領域なので、そこに体の一部を置かれてしまうと、犠牲者は「この世にいるのに、いないような気がして(yunasikira dzakpwamba dza kumo dza umumo)」身体の不調や、暮らしぶりの破綻に見舞われてしまうという。おそろしや。
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野外クッキング
http://kalimbojp.exblog.jp/19693057/
2013-09-21T22:40:10+09:00
2013-09-21T22:37:50+09:00
2013-09-21T22:37:50+09:00
Kalimbo_Mwero
anthropology
すっかり暗くなった後も、ポリタンクを太鼓にして、子どもたちは歌と踊りで盛り上がる。
そろそろご飯もできた頃。もうすぐお母さんたちの呼ぶ声が聞こえる。
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サイクル工房
http://kalimbojp.exblog.jp/19687133/
2013-09-20T19:50:58+09:00
2013-09-20T19:48:46+09:00
2013-09-20T19:48:46+09:00
Kalimbo_Mwero
anthropology
ケンガ君が愛用の自転車を披露。でも、ちょっと調子が悪いみたいだ。
さっそくお姉さんのカホンジちゃんも手伝って、にわか自転車修理工場。
見事に(?)修理完了。みんなで記念写真。
ところでこちらは近所のおにいさんたちが作った「オートバイ(pikipiki)」だそうだ。なんとなくそう見えなくもないが、「自転車baisukeli」とあまり違いはないような?
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変身
http://kalimbojp.exblog.jp/19684439/
2013-09-19T23:27:00+09:00
2013-09-20T07:47:22+09:00
2013-09-20T07:38:08+09:00
Kalimbo_Mwero
anthropology
この日に備えて、髪をそらずに伸ばしたままにしていたカホンジちゃん。
見事に変身!すっかり都会の女の子になりました。後ろのポニーテールのような束は、付け毛です。ムソンゴする際に自毛と付け毛をより合わせて長くします。
変身しても、カホンジちゃんのお気に入りの遊びは、ママゴト。
末っ子のケンガ君も、お母さんに蝶ネクタイを作ってもらって、変身完了!
やがて9月1日、学校が始まるので、子どもたちは全員髪を剃られてしまいました。カホンジちゃんはこのままにしていたいと大泣き。
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野生なキャツら
http://kalimbojp.exblog.jp/19671740/
2013-09-17T22:19:00+09:00
2013-09-17T22:26:00+09:00
2013-09-17T22:18:13+09:00
Kalimbo_Mwero
anthropology
その瞬間である。まだ逃げようとする姿勢を残している。ネコを撫でたり(ドゥルマの人々は私が「ネコをこすっている(yunakuna kuna)」と描写する)、抱いたりするのを見て、屋敷の人たちは、まるでなにか変なものでも見たかのような顔をする。
すっかりなついてしまったキャツは、私たちが食事をしていると必ずやってきて食べ物をねだるようになってしまった。
無視しているとひざに爪をかけて、催促する。アリ君も、私の真似をして、キャツにチャパティをあげてみて、まんざらでもない様子。キャツらは実にヒトを篭絡するすべを心得ている。
悪い癖をつけてしまって、申し訳ない。
とはいうものの、その顔立ちにどこか野生を漂わせているキャツである。
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電気がくる!!
http://kalimbojp.exblog.jp/19660478/
2013-09-15T23:24:00+09:00
2013-09-16T09:05:11+09:00
2013-09-15T23:23:30+09:00
Kalimbo_Mwero
anthropology
今年「ジャコウネコの池」村に起きた最大の変化は、なんといっても、これらの電信柱と送電線でしょう。私が到着したときには、まさにそれを立てている真っ最中でした。これまでも1970年代から、キナンゴの町までは送電線が引かれており、80年代の末にはキナンゴの商店の中にも冷蔵庫で冷えたソーダを売る店が出現するなど、キナンゴの町を中心に電気の利用は進んでいました。でもキナンゴの町を一歩出ると、ドゥルマの大部分の地域では電気は利用できませんでした。が、なんとキナンゴについで、「ジャコウネコの池」村と隣接するドゥンブーレ、グァドゥの村に送電線が引かれることになったのです。トランスが設置されさえすれば、電気はやってきます。もちろんそこから各自の屋敷まで、電信柱を立て送電線を引くのは、電気を引こうとする屋敷の負担になります。またメーターを据えたりの初期費用も馬鹿にはなりません。だからいきなり電気が普及するというわけには行きそうにありません。大部分の人々にとっては電気の恩恵を受けるのはまだまだ先のようです。でもすでに送電線に沿った屋敷の数軒で、電気を引く用意を整え始めています。この地域のドゥルマの人々の暮らしをおそらくは激変させるだろう変化が起ころうとしているのです。
なぜ、キナンゴについで、この地域が選ばれたのかについては、この村出身の一人の青年の尽力があったとされています。この1985年生まれの青年は、ジョモ・ケニャッタ大学の経済学部を卒業後、会計士の職を経て、ケニア・ナショナル・バンクの職を得ましたが、多くの出世したドゥルマ人が、自分の出身地から遠く離れた都会での生活を好み、村には帰ってこないのとは対照的に、「ジャコウネコの池」に本拠地をすえ、地域の発展に貢献しようとした点で、かなり例外的な青年でした。高給取りとなった彼は、貧しい親族の子どもの学費を補助したりする一方で、当地に電気を引く活動に熱心に取り組んできました。住民から署名を募り(昨年、この署名が回ってきて、私の友人のカタナ君も早速自分に電気を引く意思があることを表明していました)、援助団体の資金援助を求めたり、政治家と掛け合ったりして、ついに新政府のもとで電気の誘致に成功したのです。若い世代のリーダー的な存在でした。
不幸にも、彼は私がフィールドに入る一週間前に不慮の死を遂げました。職場の近くの自宅のテレビアンテナを延長しようとして、誤って高圧電線に接触してしまい、感電死してしまったのです。私が到着したとき、地域の人々のあいだでは彼の死の「真相」をめぐるさまざまな噂話にもちきりでした。それを単なる事故と考える人などほとんどいませんでした。
あるセクションでは、電気を導入しようとした彼が感電死したことには大いに関係があると考えていました。電気が来ること自体を快く思っていなかった奴らがいたのだというのが彼らの主張です。ある妖術使いの老人は、電気をもたらした彼を恨み、彼に雷の妖術をかけたのだというのです。そのうわさの長老が所属している当のセクションでは、まったく別の話で盛り上がっていました。青年の出世をねたんだ青年の親族のある者が、自らが裕福になるために「悪魔崇拝」に帰依しており、自らの富と引き換えに、その青年を犠牲として悪魔崇拝の集団に差し出したのだというのです。悪魔崇拝の噂を立てられている当の家族の人々(熱心なキリスト教徒)は、青年があまりにも立派で完全無欠の善人だったため、神が彼を愛するあまり、彼が俗世の悪に汚染されるのが見ていられず、善人で清いままで自分のもとにお召しになったのだと、人々から愛される善人が早世するのはそうした理由だと語っていました。このキリスト教徒たちは、同じ村に近年出現した別のキリスト教の分派に対して敵対し、その追放を企てていたのですが、その先頭に立っていた一人が、死んだ青年でした。追放されそうになっていたキリスト教の分派の人々は、当然青年の死が自分たちに仇をなそうとした人々に対する神が下した罰だと語っていました。
もうなにがなんだかわからない状況ですが、とにかくこの村に近いうちに電気がやってくるという展望と、その真っ只中で起きた青年の死は、この村の中に走る無数の人間関係の亀裂を明るみに出してしまったようです。
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赤い街道
http://kalimbojp.exblog.jp/19658232/
2013-09-14T23:14:00+09:00
2013-09-17T14:24:58+09:00
2013-09-15T14:16:00+09:00
Kalimbo_Mwero
anthropology
2010年に成立した新憲法下での初めての国政選挙が今年の3月に実施され、新しい大統領ウフル・ケニャッタのもと新しい政治体制が発足しました。「ジャコウネコの池」の住民たちもこの変化に大きな希望を寄せていますが、人々にとって有望な変化の最初の証拠となったのが、クワレ県の首府クワレの町とドゥルマの中心町キナンゴを結ぶ幹線道路の舗装です。
この道は、人々をモンバサに結ぶ幹線道路であるにもかかわらず、度重なる要望にも関わらずアスファルト舗装されないまま、ときおりトラクターで整地するのみで、雨が降るたびにずたずたになり、ときに通行不能になることもある、悩みの種の道でした。車はそろそろとしか走れず、そのためかモンバサまでの料金も、距離のわりには高いと人々はこぼしていました。新政権が成立してすぐ、この道が立派に舗装されたのでした。人々が望んでいたアスファルト舗装ではありませんでしたが、マラムと呼ばれる赤褐色の砂礫土で表層を固めた赤い道が丘陵地帯を突っ切っています。デメリットとして、いまや車は時速60キロを越える速度で突っ走るので、怖くて、今までみたいにのんびり道の真ん中を歩けなくなったとこぼす人々もいます。けれどもこの道は、新憲法が当地にもたらした「発展 maenderero」だとみんな得意げです。
新憲法がケニアの政治システムにもたらした大きな変化のひとつが、地方行政のシステムでした。独立以降も、ケニアの地方行政のシステムは植民地時代のシステムを継承していました(独立直後は、地方自治を重視した一種の連邦制だったのですが、初代大統領ケニャッタによって中央集権的な支配体制が整備されるにともない、植民地時代のシステムに逆戻りしたのです)。
ケニアは8つのプロヴィンス(州)40いくつのディストリクト(県)に区分されていましたが、プロヴィンシャル・コミッショナー、ディストリクト・コミッショナーと呼ばれるそれぞれの知事は、住民の選挙によらず、直属の上司そして大統領のみに説明責任を負う、大統領によって任命された大統領府所属の官僚で、彼らが地方行政、開発、治安維持の権限を一手に握っていました。植民地時代の現地人支配のシステムが独立後も自国民を支配する手段としてそのまま転用されたものだったのです。2010年に成立した新憲法下では、従来のディストリクトに代わって、自らの財源を持ちそれを自由に運用する権利があるカウンティ(従来のディストリクトとほぼ一致)と呼ばれる単位が地方行政の単位となり、各カウンティのガバナー(知事)は、住民の投票により選出されることになりました。
この新たに選出されたクワレ・カウンティの知事が最初にやった仕事が、まさに人々が要望し続けて実現しなかった、幹線道路の舗装だったというわけです。誰もが、新しいカウンティ政府と知事の仕事を賞賛しています。なかには、自分を手っ取り早く人々に印象付けるための知事のスタンドプレーだとか、マラム舗装などもって数年でだめになるとか、
批判的なコメントをする人もいないではないですが、誰もがこの幹線道路の舗装を、新時代を予感させるしるしと考えているようです。中央政府が各カウンティに配分する予算はけっして十分とはいえず、またその配分にもまだまだ不透明な部分もあり、この新しいシステムがうまく機能するかどうかは、今後しだいといったところがあります。
でも「ジャコウネコの池」の人々は楽観的です。ヤシ酒を飲みながら、「新憲法 katiba iphya!」を乾杯の音頭にしたりしています。
この道が、ドゥルマの明るい未来に続いていますように!!
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4年ぶりの収穫
http://kalimbojp.exblog.jp/19648914/
2013-09-13T22:28:00+09:00
2013-09-13T19:51:47+09:00
2013-09-13T19:51:47+09:00
Kalimbo_Mwero
anthropology
8月14日から9月1日までドゥルマ(ケニア海岸地方キナンゴ周辺)の「ジャコウネコの池」村に滞在していました。本来は、大雨季と小雨季との間の乾季にあたるはずなのですが、結構頻繁に雨が降りました。人々も、まだ大雨季の雨が続いているという意見と、もうすでに小雨季の雨が始まったという意見に分かれ(前者が多数派)、なんだか例年とは違うね、というところで一致していました。でもこの春先からだらだらと不規則に続いた雨のおかげで、今年は多くの人が4年ぶりに収穫を手に入れました。今年の初め頃には、たいていの家で食料は底を尽き、わずかな現金収入や、家畜を売り払って手に入れたなけなしの現金はすべてわずかばかりの食料を店で購入するのに費やされてしまい、多くの人々はもう限界状態だったといいます(もちろん定収入のある働き手がいる屋敷(少数)と、そうでない屋敷では相当事情は違いますが)。私の知人たちも、雨が盛んに降っていた5月、6月には、一日にほとんど何も口にできなくても、空腹の中で、収穫を期待して耕し続けたということです。そのおかげで、そろそろ一休み(食料を手に入れるために奔走しなくてもよい)できる。そういいながら畑でもいだばかりのトウモロコシを炉で焼いて、私にも手渡してくれます。大雨季の雨が最初に降ったときに、それが継続することを信じて、早速植え付けを始めた人々は、非常に豊かな収穫に恵まれ、昨年までのことに懲りて、様子を見たために出遅れた人々も、大豊作とはいかないものの、ほどほどに(来年までは食いつなげそうな)収穫を得て、ほっと一息ついています。
でもみんな、とにかく雨が降るうちは耕し続けるといって、新たな畑を開いたり、農耕の手を休めようとはしていません。うまくいけば、切れ目なしに収穫が得られ続けるかもしれない、との希望で。
雨が良く降るといっても、一日のうちほんのわずかな時間で、一日のほとんどはこんな風に強い日差しが降り注いでいます。二つの雨季に挟まれたこの季節は、色とりどりの花が咲き乱れる季節でもあります。
朝はこんな感じで靄がかかっています。人々は経験知にもとづいて、靄の立ち込める日は陽射しが強くなるといいます。ほんとうにその通りになります。
さて、こんな風に食糧事情は今年は昨年までと違って良好でした。でも同時に、人々の人間関係をギクシャクさせる事件や、新しい政権の発足にともなう大きな変化も見られました。(つづく)
(Pentax K-5 + DA16mm-45mm f4.0)
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クリスマス
http://kalimbojp.exblog.jp/17520716/
2012-12-26T23:46:00+09:00
2012-12-28T09:59:35+09:00
2012-12-28T09:57:21+09:00
Kalimbo_Mwero
anthropology
東京駅でお登りさんは、天井を見上げる。
レトロとモダンのモザイク。
懐かしい大学通り。
帰途に高円寺(なぜ?)で昼食。高円寺の町はまだ商店街がしっかり生きている。写真は昼間で飲み屋さんたちがシャッターを下ろしているガード下だが...
せっかくの久しぶりの上京なので久しぶりの秋葉原で久しぶりに石丸電機ソフト館(クラシック&ジャズ)でライブのブートレグCDでも漁ろうかと思ったら、石丸電機自体なくなっていて、当然ソフト館もなくなっていた。インターネット購入に依存していて、こうした実店舗も残ってほしいと思っていたのが甘かったのか。あるのが当然と思う感覚の迂闊さ。その他いろんな意味で、もう秋葉原に来ることもないだろうなぁ。
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集中
http://kalimbojp.exblog.jp/17474288/
2012-12-20T23:57:00+09:00
2012-12-21T07:37:42+09:00
2012-12-21T07:01:53+09:00
Kalimbo_Mwero
anthropology
熊本での研究会に続いて、火曜日からは熊本大学の慶田先生をこちらに招いての集中講義。慶田さんの幅広い守備範囲と面白い視点がいかんなく発揮された刺激的な時間。私も他の用事がない火曜と木曜は朝から目いっぱい参加させてもらった。ラッキィ。
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蛍雪時代
http://kalimbojp.exblog.jp/17174065/
2012-11-15T23:52:00+09:00
2012-12-27T09:17:42+09:00
2012-11-16T01:55:43+09:00
Kalimbo_Mwero
anthropology
ドゥルマのあちこちでよく見かける景色。ガンガ ganga と呼ばれるサボテンの一種。
今年の8月が私がドゥルマで調査をはじめてちょうど30周年に当たる。私にドゥルマのことをいろいろ教えてくれた年配者たちの多くはすでに他界し(というのはすごく日本的な言い方で、ドゥルマ風なら「コマ(祖霊)になって夜ときどき子孫のところに顔を出すだけの存在になり...」というところだが)、いまやカタナ君たちの世代が長老と呼ばれるようになっている。
私と同世代、あるいは少し年配の人たちの子供時代の思い出を聞いていると、隔世の感がある。今やN氏族の中心人物になっているンザビラ氏は、私より少し年配で、早い時機に教育を受け、小学校卒業後にすぐ保険会社の職を得て、ナイロビに長く暮らした人。退職後はドゥルマに戻って、県評議員などにも選出され、現在はNGO関係で地域とのつなぎ役として活躍している。彼の父故ズワ氏に比べると、どちらかというと都市生活が長い、ドゥルマの習慣にはやや疎いタイプの人だった。そんな彼と、教育の重要性について雑談していた際に、彼の小学校時代の思い出話になった。
当時は、前の晩のトウモロコシの練り粥の残り物と、瓢箪に詰めた発酵乳をもって学校へ通い、昼になると仲間で持ってきた食物を出し合い一緒に昼食を食べた。食べ物がなく手ぶらで来た友達も、その輪に加わって食事をとり、誰も飢えることはなかった。
今のようにスワヒリ風の土壁、石壁の小屋などなく、皆、ドゥルマの昔ながらの草葺の小屋で、ヤギと一緒に寝る暮らしだった。灯油すら貴重品で、灯油ランプのある家は金持ちだった。多くの子供は夜は勉強したりしなかったのだが、ンザビラ氏は夜も勉強した。灯油ランプの代わりに、このガンガを干して乾燥させたものに火をともしてその光で本を読んだ。ガンガを乾燥させたものはムカランガと呼ばれ、今でも薪に火をつけるときの着火剤として使われることもある(多くの家庭では灯油をぶっ掛けているが)。ロウソクのように明るい光が得られるのだという。ヤギの糞の臭いと、炉の煙が立ち込める草葺の小屋の暗がりの中でムカランガのぼんやりした光の下、一心に本を読むンザビラ少年の姿が一瞬見えた気がした。
そんな時代はとうに過ぎ去ったが、ガンガは今もドゥルマの荒野に昔ながらの姿で聳え立っている。
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建築熱
http://kalimbojp.exblog.jp/17168825/
2012-11-14T23:53:00+09:00
2012-11-15T08:05:53+09:00
2012-11-14T23:53:47+09:00
Kalimbo_Mwero
anthropology
富をウシの形で蓄積し、それを使って多くの妻を娶り(これは耕作面積が広くなること、したがって豊かな食料に恵まれることを意味していた)、たくさんの孫に囲まれること、それがかつてのドゥルマの男たちの人生の目標だった。とにかくウシが豊かさのシンボルだった。今は、パーマネントな家を建てることが多くの若者たちにとっての人生の目標だ。資金的に定職がなければ困難だが。かつてはドゥルマの屋敷は、さまざまな理由で頻繁に移動していた。石壁、トタン葺にしてしまうと移動性はぐっと犠牲にされる。あるいは近年では移動の余地も減ってきたということなのかもしれない。
何年も前から建築途上だったカタナ君の家も、ようやく屋根を葺いた。なぜ私が来るタイミングで、建築が進展するかはナゾということにしておこう。
家の中に茂っているパパイヤの木。子供が食べたパパイヤの種から自然に生えてきたもの。いかに長い間、家の屋根がなかったかを物語る。もちろん屋根を葺き終わった後(先にしろといいたいところだが)、パパイヤは切り倒された。
家の建築が前進して喜ぶカタナ夫妻。妖術使いたちの妨害も、私たちを打ち負かすことは出来なかったと語る。妖術使いの妨害というよりも資金不足だったのだが。
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都市のキリスト教
http://kalimbojp.exblog.jp/17162310/
2012-11-13T21:08:00+09:00
2012-11-13T23:23:28+09:00
2012-11-13T21:07:46+09:00
Kalimbo_Mwero
anthropology
教会のサービスは、少女合唱隊の歌と踊りあり、寸劇ありのちょっとしたショーパフォーマンス仕立てで進行する。合間合間には、参加者全員が立ち上がって歌い踊り、隣り合った人たちとハイタッチ(みたいな)をしたり、「お前は救われたか」とか「お前はここでは歓迎されている」みたいな定型的な言葉を交し合う。クイズコーナーもあり、牧師が聖書にまつわるちょっと頓知っぽいクイズを出し(イエスの祖父は誰でしょうとか)、正解者にはキャンデーが与えられる。全体にバラエティ番組のような趣向だ。
ひとしきり出し物が終わると、エリジャ牧師の説教が始まるが、最初に短い聖書からの引用があった以外は、あとはなんともっぱら妖術使いの話になる。妖術使いや悪霊がどんな妖かしの業を行うか、とか施術師たちのたくらみ(病気を治したと称して、別のところに病気を移し、なんども彼の世話になるようにし向けるとか)がおもしろおかしく語られ、みんなも喜んで聞いている。もちろん結論は、こうした連中、妖術使いや悪霊や施術師たちに屈してはならず、それらに打ち勝つのはイエスだけだという主張に落ち着くので一応キリスト教の話だ。
その後は「祈願」なのだが、これこそがメインで、人々はいそいそと椅子を片付けて広いスペースを確保する。エリザベスの教会と同じく、ここでもバタバタ人が倒れて、エリジャ牧師による霊払いが行われる。合唱隊の少女も、一般の参加者も、バタバタ倒れる。倒れた女性たちはかなり暴れるので、衣服のすそが乱れないように周囲の女性が彼女の足を縛ってやったりしている。牧師は大声で悪霊に語りかけ、悪霊自らに、何者で誰に遣わされたのかを名乗らせ、立ち去ることに同意させようと交渉するのだが、その際に使われるのがやはりイエスの火である。出て行かないなら火でお前を焼くと脅しながら牧師は口から「シューシュー」大きな音を出す。火を悪霊に押し当てているところなのだという。悪霊は、熱い熱いと泣き喚き、やがて退出することに同意し、バイバイと手を振る。倒れた女性のなかには、妖術使いによって身体にモノを打ち込まれた者もいる。彼女らは、外へ出せ、外へ出せという人々のかけ声に合わせて、身体のいろいろなところを自分でむしるような仕草をする。それによってモノは患者自身の手で身体の外に取り出されることになる。見えないが。
この間、ずっとシンセサイザーで単調な音楽が演奏され続けているのが、なんとも不思議な雰囲気を醸している。面白い。
でも朝9時に始まって、午後4時になっても終わらないのはいかがなものか。私は腹ぺこで、ちょっぴり不機嫌になってしまった。部屋にこもった熱気と、熱いトタン屋根のせいで汗がだらだら流れて、頭痛までしてきた。キリスト教徒はたいへんである。
あきらかに、これらの新手のキリスト教の諸セクトは、普通のペンテコステ派よりもさらにはっきりと、妖術世界にチューンをあわせ、妖術使いに対抗することを明示的な活動として展開しているようにみえる。これからどんな風になっていくのか、興味がある。私自身は研究対象にする気はないけれど....(O君がんばってください)
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