2023年 09月 03日
IAEA報告書の科学性:一文化人類学者の格闘 |
7月はじめに提出された、ALPS処理水に関するIAEAの包括報告をやっと苦労し
て読み終えました。用語も文体も慣れないものだったので、読みにくかった~。
今まで見たこともない用語、Regulatory limit(告示濃度限度)とかDetection
limit(検出限界値)とか、 committed effective dose(預託実効線量)とか、最
初は訳語もわからない言葉が満載。一番なんのことだか分からなかったのが
source term なる言葉。「放射性物質」の業界用語なのだと思います。
radionuclide ともども「核種」と訳しておきました(なんとなくwebを参照して)。
和訳してもわけの分からない言葉もありますが、すべてを詳しく説明するのも
煩雑なので、どうしてもの場合は自分でwebで検索してください。
IAEAのレポートの「科学性」について問題にしたいとおもうのですが、それ
を述べる前に、IAEAレポートの要点だけかいつまんで紹介したいと思います。
なにぶん私は文系ですので、間違いなどあるかもしれませんが、指摘していた
だけると幸いです。
ALPS処理水の成分分析
私にとって一番の難関は、ALPS処理水の成分分析のところ(理系の人からみれ
ば基礎の基礎?)だったので、IAEAの包括報告書(7月2日に提出されたもの)
に加えて5月に提出されていた「アルプス処理水の扱いの安全面に関する諸側
面についてのIAEAレビュー」も参照しました。
ALPS処理水が安全だ(規制を満たしている)とのIAEAの評価は、アルプス処理
水として放出予定の3つのタンク(全タンクの3%)から取られたサンプルに
対してなされた分析の結果です。東電による分析とは別に、IAEA自身の3つ
の研究施設、および世界4ヶ国の独立した4つの研究施設で分析され、その結
果が互いに矛盾しないことが示されています。
これら2つ以上の研究施設で検出限界値以上とされた(サンプル中に存在が確
認された)ものは12核種。トリチウム以外の除去対象となる62核種それぞ
れの濃度(検出限界値未満の場合は検出限界値を使用)を、それぞれの核種の告
知濃度限度(生まれてから70歳になるまで毎日2リットルずつ飲み続けた場合の被
爆線量率が一年あたり平均1mシートベルトとなる濃度、たとえばセシウム137
の場合1リットル当たり90ベクレル)で割ったもの(告示濃度限度比)の総和が1
を超えないことが確認されています。
ALPSで除去できないトリチウムについてはALPS処理後にさらに希釈して告知濃
度限度(トリチウムの場合1リットルあたり6万ベクレル)以下にされています。
希釈後の液体では、このトリチウムを含めた全核種の告示濃度限度比の総和が、1
以下になることが確認されています。
実際に放出するものはさらにその40分の1に希釈するというのですから、その
限りにおいてはまったく「安全」だということになります。このように希釈す
るともし生まれてから70歳になるまで毎日2リットルずつ飲み続けたとして
も(塩水なので実際に飲むのは無理ですが)、被曝線量は一年あたり平均して
0.1mシートベルトよりもはるかに小さいことになります。というわけで毎日2
リットルほぼ一生飲み続けても問題なしと。
環境や人々にとっての被曝経路モデル
処理水を飲む人はいないでしょうから、報告書はさらに具体的な状況でどの程
度の被曝があるかを被爆経路をモデル化することで算出しています。
海中に放出された処理水中の核種はその後どのようにふるまうか、それが簡単
にモデル化されています。
核種のいくつかは海水中に浮遊する物質に吸着されて海底に堆積します。一方
海底の堆積物のいくらかは再び海中に戻っていきます。モデルではこの両者間
に平衡が成立しており、かつ海底の核種を含んだ堆積物の厚さは15cmと想定さ
れています。
平衡関係が成り立つまでには時間がかかるのですが、最初から平衡がなりたっ
ていると想定されています。また15cmよりも深い部分の放射線は遮蔽されて外
部被曝には寄与しないと考えられているので、15cmの堆積層の想定も海底から
の外部被曝をその最も高い状態で算定することになります。
注釈では、このモデルはこうした海洋中の核種の崩壊によって生成される子孫
核種については考慮されていないが、これらが被曝に大きく寄与することはな
いとされています。それらの影響は「無視しうるnegligible」ほど小さいから
です。
海に入ったり、海の水を浴びたり、誤って飲んだり、といった形以外でも、食
品を通じてこれらの核種を体内に取り込む可能性もあります。
放射線環境影響評価(REIA)の対象となったALPS処理水中の3核種について、
海産食品の摂取が、すべての年齢層で、預託実効線量への寄与が最も高い
(p.77)ことがわかっています。
トリチウムは体内で身体を構成する有機化合物の水素と置き換わり有機結合型
のトリチウム(OBT)として、かなり長期間体内に留まることがあるとされてい
ます。OBTを体内にもっている魚を食べると、人はそのトリチウムを摂取する
ことになり内部被曝が生じます。報告書では魚や海産物のなかに取り込まれた
トリチウムが100%有機結合型になったと仮定し、その影響を評価しています。
その結果は、被曝は「誘導考慮参考レベルDCRL」(その動物の適応度に影響を
与えるような、罹患、繁殖成功度の低下、染色体異常、死亡が問題となるレベ
ル)よりも桁違いで少ないため、特別な検討を要さないと結論されます。さら
に東電が2014年以降行ってきた魚のモニタリングにおいてOBTが観測されたこ
とがないことも指摘されています。
まとめると、海洋放出によって出た海中の核種により個人が被曝する経路は次
のように想定されています。
海洋生物の被曝は、それらが摂取・吸収した放射性物質による内部被曝、周囲
の海水による外部被曝、海底堆積物からの外部被曝が想定されています。東電
は海底に生息するヒラメ、カニ、藻類について線量を監視しているそうです。
モデルに基づく被曝線量の算出
このモデルに基づいて年齢別に海洋放出による被曝量が算出されます。その結
論のみを示すと以下のグラフの通りだそうです。最も被爆の大きい子供の場合
でも年間0.000035mシーベルトとほぼ全く問題にならない程度だということになります。
福島の放出水を飲もうと(塩水なので飲めませんが)、魚を食べようとなんの
心配もない。それによって受ける内部・外部被爆は、自然界に自然発生するト
リチウムや炭素14、ヨウ素129による内部外部被曝にもはるかに満たないし、
その年変化、地域ごとのばらつきの範囲内におさまる。「科学的」ですね、文
句の余地なし。
IAEA報告書の科学性
どこが科学的なのか、というともちろんALPS処理水の放出前の最終段階とされ
るタンク内の液体の成分を、正確に測定しているところもそうですが、論理の
一貫性にも注目せねばなりません。極めて小さい量(濃度)であれば無視でき
るという理屈です。
どの核種も告示濃度限度の何百分の1(あるいはそれ以下)にまで薄められ、すべ
て合わせても告示濃度限度の総和の100分の1以下、あるいはそれのさらに40分の1
以下。そもそも告示濃度限度というのが、その濃度の水を毎日2リットル70年間飲
んでも被曝の影響を心配しなくても良い濃度なので、それよりもずっと希薄だ
というのなら、被曝の影響などまったく無視してもさしつかえない。
おまけに比較すると海の水の量は無限大と見てよいくらいなので、まったく無
視できるほどに薄められてしまう。
自然界にすでに存在するもの、そこで自然に生成されるものに追加されるわけ
ですが、その5000分の1の(あるいはそれよりもずっと桁の低い)量とかなの
で、無視しうる。
さらに科学的かどうかは、現実 realityについてのどれくらい正確なモデルで
あるかによっても判断できるのですが、放出水が海洋の中でどのように振る舞
い核種がどのように分布していくか、そこからどのような経路で被曝が起きる
かのモデルも、十分に現実に即している(被曝の可能性を最大限過大評価した
モデルなので、その意味では十分すぎるくらい)。
処理水海洋放出反対派よ、なにか言うことあるかい、バーカ。というところで
しょうか。うーむ。
物は、その質料が小さく、エネルギーが小さく、濃度が小さいほど、世界に対
する因果的な影響が小さい。それが限りなく小さいなら、その影響も0とみな
してよい。たとえばトリチウムの濃度が小さいほど、ある空間での分布は少な
く、一つのトリチウムが出すか弱いβ波がどうかして動物の細胞の核のDNAの
鎖にぶちあたり、それを切断してしまったりする確率は、どんどん小さくなり、
ほとんど0に近くなる。濃度が小さいほど、その物質が他の物質になんらかの
影響を及ぼす出来事を引き起こす確率は、限りなく小さくなっていく。
これが、おそらく「科学」の論理の1構成要素なのでしょう。物理学・化学が
扱う物質世界ではまさにそのとおりだと思います。でも同じことが、生物学や
人間社会の科学においても言えるのでしょうか。
モデルの妥当性と「濃度の論理」の有効性
IAEAが採用している環境への影響モデルも、考えてみたら生態学的なモデルと
してはあまりにも単純すぎるモデルだと言えるかもしれません。そこでは海の生
物は、単に、外界に分布する(海水中・海底)核種からの外部被曝をし、また
一定濃度の放射性核種を含んだ水を飲み、一定期間後にそれを排出するだけの一
時的貯蔵所にすぎません。核種がその身体の構成要素に入り込むとしても、それ
はちょっと長くそこにとどまるだけで、やがて排出される。まるで海が一個の
巨大なガラスの水槽で、その中の生き物たちは、ほんのいっとき水が出入り
する小瓶、おそらくその内側に核種が少しのあいだ張り付いたりする可能性も
ある、動き回るガラスの小瓶にすぎないような、そんなモデルと言ってよい
でしょう。
もちろん生物体も物質からできています。しかしすべての生物は、その内部の
複雑な化学反応を精妙に組み合わせた一つの複雑な「システム」、ある意味で
は、局所的な反エントロピーマシンとして機能するシステムでもあります。
外界の物質を取り込み、それを材料としてエネルギーを取り出すと同時に、外
界から取り入れた物質を、分解して原料に変え、それを用いてより複雑な物質
へと作り変えるマシンです。
おまけにそれは遺伝子という自己複製子を用いて、次々と自分の複製を作り出
し、環境内に増殖していくという離れ業をもつマシンです。物理学・化学・工
学を駆使しても、いまだ誰もそれと同等のマシンを作り出すことに成功してい
ない、そんな複雑なマシン群をわたしたちは相手にしているのです。
そこでは、濃度が小さいこと、確率が低いことが、マシンのあり方とその作動
に影響を与えない、などという原理はかならずしも成立しないのです。
そのマシンの内部では単純なものがより複雑な物質に作り変えられ、濃度の小さ
かった物質がより大きな濃度を持つように濃縮されたりすることが、たやすく起こり
ます。生体濃縮(当該物質の生体内での濃度が、外界におけるその濃度以上に
なる)は東電がヒラメで実験して起こらないことを示した、あんなプロセスで
はなく、植物性プランクトンから小型魚、大型魚へと至る食物連鎖によってイ
ンタラクティヴにも起こります。
海洋とそのなかに生きる諸々の生命は、その内部の機構をとおしてだけでなく、
海洋環境という複雑なシステムなかに生きる生物個体の相互行為を介することで、
長い時間の中でさまざまな自分自身や環境に不可逆的な変化を作り出していく
ことができます。進化です。
IAEAのモデルはこうした点を全く考慮に入れていない点で、物理学的にはまっ
たく「科学的」ではあるのですが、現実realityのモデルとしては、あまりに
も簡略でお粗末なモデルだとしか言えません。この点では低い「科学性」しか
もっていないと言えるでしょう。
限りなく薄め、1リットルあたり限りなく少量になると、物質の及ぼす影響は
限りなく小さく、「無視して良い(negligible)」という話は、生態学的には
もはや成り立ちません。
生物においては限りなく小さく、ありえないような確率の出来事が、そのシス
テムの大きな変化要因になるという点が重要なのです。
生物のもつ最大の特徴、その進化はこうした超小さな確率の出来事、10億分
の1のさらに何億分の1かという超珍しい出来事、上の言い方によれば無視し
て良いどころか無視するしかないほどの(検知不能なほどの)珍しい出来事の
生起が可能にしています。
D.Dennetteが言っているように「進化とは、ほぼけっして起こらないような物
事を増幅することに依存するプロセスである。たとえば、DNAにおける突然変
異はほぼけっして発生しない――10億回の複製につき一回発生するかどう
かだ。しかし進化はそれに依存している。おまけに、突然変異の圧倒的多数
は有害か中立的かのいずれかである。「良い」突然変異が運良く発生するなん
てことはまず決して生じない。しかし進化はまさに、こうした滅多にない中
でもとりわけ滅多にないような、そんな出来事に依存しているのだ。」
"evolution is a process that depends on amplifying things that almost
never happen. For instance, mutation in DNA almost never occurs—not
once in a billion copyings—but evolution depends on it. Moreover, the
vast majority of mutations are either deleterious or neutral; a
fortuitously "good" mutation almost never happens. But evolution
depends on those rarest of rare events."(Dennett,D.C., 2017:7)
いかに濃度が小さいことによる被曝の影響がないかを、DNAの修復機能を例に
論じる人もいるようです。仮に運良く(というか運悪く)被爆によってDNAに
損傷が生じることがあったとしても、DNAのもつ修復機能によってそれはキャ
ンセルできてしまう。被曝の影響なんてそれくらい小さいものなのだと。その
とおりです。DNA複製エラーが起こること自体はそれほど珍しいことではあり
ませんが、それらのほとんどは修復され、キャンセルされるのです。
でも、その修復を奇跡的にかいくぐって突然変異が起きた個体が生まれるか
もしれないのです。それは10億回のDNA複製につき1回あるかないかの珍しい
出来事です。
おまけに、やっと実現したそうした変化の圧倒的多数は有害な形質で、次の世代
に複製されないか、包括適応度になんの違いも生じさせない中立的な形質変化
でしかない。こうした突然変異のうちに包括適応度を上昇させる形質につなが
るものが生じる確率は、さらにさらに小さい、確率的にはありえないほどの
稀な出来事です。でも、デネットが言うように、まさにこのありえないほど
稀な出来事の連鎖が「バクテリアからバッハ」に至る生命の進化を駆動して
きたのです。
生物界には、この確率的に小さい出来事、偶発事を縮小キャンセルするプロセス
とともに、それを逆に増幅するプロセスも内蔵されています。
態系に関してこのことを無視したモデルは、けっして「科学的」とは言い難いのです。
複雑系の挙動についてはよくわかっていない
私たちが畏れ、配慮せねばならないのは、まだ完全には解明されていない複雑
系としての生命と生態系がもっているこうしたプロセスです。それは一方で、
環境に付加されたさまざまな小さい偶発時をキャンセルしたかと思うと、ほん
のわずかと思える偶発的な出来事をきっかけにドラスティックな変化を起こし
てしまうかもしれない予測不可能なシステムでもあるのです。
すでに自然界には放射性物質がいっぱいあります。自然に生成されるものも毎
年かなりあります。でもいずれも濃度は問題にならないくらい小さい。度重な
る核実験や、原発処理水も(正常に機能している原発も含め)すでにけっこうそし
て今なお海洋放出されています。沈んだ原子力潜水艦もたくさん。でもこれら
も放射性物質の濃度は無視して良いほど小さい。それらが物理的に生態系に危害を
加える確率は極めて小さい。でも調子に乗ってさらに新たな放射性物質をそこに
付け加えることは、それが事故の確率をほんのほんのちょっとだけ(無視しうるほど)
あげるだけのことであっても、いつなんどき、突然全システムに不測の変化を引き起
こしてしまうということもありうるのです。
海洋生物学者たちが警鐘を鳴らしているように、海洋生態系はすでにさまざま
な汚染物質による大きなストレス下に置かれているのかもしれません。ほんの
小さな後一押しがカタストロフィの引き金になってしまうかもしれません。そ
れは遠い未来の話かもしれませんが、明日のことかもしれない。
そんなときに、なぜわざわざ新たに(それも何年後に終わるかすらわからず)
放射性物質を海洋放出して、危険度をあげつづける必要があるのでしょうか。
そもそも福島第一に関して言えば、なにも海に捨てなくても、いくらでも代替
手段はありました。単に安い、早いというだけの理由で海洋放出が選ばれた
のです。(それも国民全体での議論は全く抜きで、関係者だけで決められたの
です。今からでも遅くはありません。海洋放出はやめるべきです。
多くの海洋生物学者たちが、同じ意見を表明しています。たとえば以下(日本
語音声がかぶさっていない英語だけヴァージョンもあります)
ロバート・リッチモンド×神保哲生:汚染水の海洋放出は世界の流れに逆行する
最後に
そんな遠い先のことかもしれない話よりも、今のほうが大切だと言う方も多い
かもしれません。
こんな不確定な未来について考えることをやめて、目先の話に限るなら、福島
海洋放出水をお飲みになっても、その被曝の影響で健康を害するなんてことは
「ほぼない」だろうし、福島産の魚を毎日食べても同じです。
確率的に限りなく0に近いです。でも未来の日本のあるいは世界の人々のこと
を考えたら、わずかとは言え、わざわざリスクを高めるようなことはする必要
はないではないですか。
いつの日か、まだ大丈夫はもう危ない、を実感する日が来てしまいます。
繰り返しますが、海に流さなければならない理由など何もないのです。他のや
り方があります。
他の社会(中国やアメリカ)も原発の処理水(それも福島ALPSの水よりも高濃
度の)を流しているじゃないかという人もいます。でも隣近所の誰かが、自宅
の生ゴミを近所の公園に捨てているから、といって、うちでもちょっとくらい
近所の公園に捨ててきてもよい、なんて言うのは、ちょっとあさましくはない
でしょうか。
誰かがやってるからといって、やらないほうが良いことを、わざわざ真似して
自分もやる必要などありません。
でも、もっと深刻な問題もあります。
人間の社会は、生物のレベルとはまた異なる極めて予知の困難な複雑系です。
海洋放出がそうしたグローバル・システムにも、余計なインパクトを与えてし
まったことは、その後の各国の反応を見れば明らかです。これが手に負えない
事態を引き起こす前に、その原因となった海洋放出をやめたほうがよいことは
言うまでもありません。
生態系もそうですが、人間が作り上げている複雑なシステムも、ほんのちょっ
としたことで予期せぬカタストロフィを引き起こしかねない、厄介なシステム
なのです。気をつけましょう。
参考文献
IAEA報告書
IAEA Comprehensive Report on the Safety Review of the ALPS-Treated
Water at the Fukushima Daiichi Nuclear Power
Published by the International Atomic Energy Agency in July 2023
IAEA Review of Safety Related Aspects of Handling ALPS Treated Water
at TEPCO's Fukushima Daiichi Nuclear Power Station: First
Interlaboratory Comparison on the Determination of Radionuclides in
ALPS Treated Water
Published by the International Atomic Energy Agency in May 2023
Dennett, D.C., 2017, From Bacteria to Bach and Back, Penguin Books
(Kindle edition)
補足
この文章では、東電の隠蔽体質や、IAEAの原発推進のポジション、調査された処理水以外のタンクについて、それがALPS処理を重ねることで最終的に同等のものになるという説明の信憑性などについては、一切触れずに済ませています。さらに海洋放出にこだわる真の理由(再処理施設の稼働を正当化したいなど)についても、あえて触れていません。デブリに触れた地下水(=汚染水)がすでに海中に漏れ出ているのではないかという指摘もあるようですが、それについても主題化していません。
それらが問題ではないという意味ではなく、別のフレームで論じるべきものだと判断したからです。この文章では、純粋にIAEA報告書内部の論理の整合性や科学性を検証することだけに注力しました。
さらに、私は生命科学や海洋生物学、生態学の専門家ではありません。ただの文化人類学者です。これまでそれらの分野の方々がこの問題を扱ってくださるのを待っていたのですが、IAEAの報告をおそらく読みもせずに「科学的だ」と触れ回っている人々や、逆に誤解して批判している人々をみて、もやもやして待ちきれずに、やってしまいました。間違いや議論の不備などご指摘いただけると幸いです。
#
by Kalimbo_Mwero
| 2023-09-03 23:26
|
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