2012年 11月 14日
建築熱 |
昨年も書いたように、ドゥルマの多くの人々にとって家に投資することが一つの夢になっている。
富をウシの形で蓄積し、それを使って多くの妻を娶り(これは耕作面積が広くなること、したがって豊かな食料に恵まれることを意味していた)、たくさんの孫に囲まれること、それがかつてのドゥルマの男たちの人生の目標だった。とにかくウシが豊かさのシンボルだった。今は、パーマネントな家を建てることが多くの若者たちにとっての人生の目標だ。資金的に定職がなければ困難だが。かつてはドゥルマの屋敷は、さまざまな理由で頻繁に移動していた。石壁、トタン葺にしてしまうと移動性はぐっと犠牲にされる。あるいは近年では移動の余地も減ってきたということなのかもしれない。
何年も前から建築途上だったカタナ君の家も、ようやく屋根を葺いた。なぜ私が来るタイミングで、建築が進展するかはナゾということにしておこう。
家の中に茂っているパパイヤの木。子供が食べたパパイヤの種から自然に生えてきたもの。いかに長い間、家の屋根がなかったかを物語る。もちろん屋根を葺き終わった後(先にしろといいたいところだが)、パパイヤは切り倒された。
家の建築が前進して喜ぶカタナ夫妻。妖術使いたちの妨害も、私たちを打ち負かすことは出来なかったと語る。妖術使いの妨害というよりも資金不足だったのだが。
富をウシの形で蓄積し、それを使って多くの妻を娶り(これは耕作面積が広くなること、したがって豊かな食料に恵まれることを意味していた)、たくさんの孫に囲まれること、それがかつてのドゥルマの男たちの人生の目標だった。とにかくウシが豊かさのシンボルだった。今は、パーマネントな家を建てることが多くの若者たちにとっての人生の目標だ。資金的に定職がなければ困難だが。かつてはドゥルマの屋敷は、さまざまな理由で頻繁に移動していた。石壁、トタン葺にしてしまうと移動性はぐっと犠牲にされる。あるいは近年では移動の余地も減ってきたということなのかもしれない。
by kalimbo_mwero
| 2012-11-14 23:53
| anthropology
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