2005年 05月 13日
Enescu |
19世紀のヨーロッパのナショナリズムは音楽の世界にも及び、民族の独自性と精神を一体化した音楽作りという国民楽派風の運動がいたるところで---ロシアや東ヨーロッパかな、やっぱり---見られたわけだけど、その担い手は実は、コンサーバトリーで、当時すでに確立していた西ヨーロッパの「普遍的」古典音楽の書法を叩き込まれた音楽家たちだったわけだ。彼らは田舎の民俗音楽を再発見し、その収集に熱狂した。
まあこんなことは極東の一音楽愛好家にとってはどうでもいいことなんだけど、音楽の世界でもナショナリズムの担い手が、当のローカルな人々じゃなくて、実はいわゆる土着から切り離されてコスモポリタン化した知識人だったってのは、ナショナリズム一般を考える上でもおもしろい。
ルーマニアでもそうだったんだろうか。ジョルジェ・エネスクはルーマニア人の作曲家で私が知っている唯一の作曲家なんだけど、その天才振りが見込まれて7才でウィーンで音楽を学んでいる。彼を有名にしたのは、ルーマニアの民俗音楽のテーマてんこ盛りのルーマニア狂詩曲(2曲)だし、まあここまでは典型的なナショナリスト音楽家のキャリアみたいだ。
でも、その後の彼の音楽には、民俗音楽的な要素は、もちろん入っているには違いないけど、そんなに目立った感じはしない。僕が特に好きなのは第一次世界大戦の頃書かれた交響曲2番で、第一楽章の途中で登場するノスタルジックなテーマ(これが全楽章を通じて繰り返し形を変えて現れる)には背筋がぞくぞくしてしまう。にぎやかな最終楽章のどまんなかにふっと登場し、揺らぎながら消えていくところなんてたまらない。ただ全体に、ちょっと複雑で印象派風でもあるし、どことなく雑多な要素が詰め込まれたとらえどころがないような感じの曲でもある。3曲書いた交響曲のうち、この2番だけが結局出版は彼の死後になったことからもわかるように、最後まであれこれ手を入れられ続けていたらしい。でもとにかく魅力的な曲。
こうした不思議なエモーションに満ちた曲の後は、晩年の静謐なピアノ五重奏曲で締めるのが吉。
まあこんなことは極東の一音楽愛好家にとってはどうでもいいことなんだけど、音楽の世界でもナショナリズムの担い手が、当のローカルな人々じゃなくて、実はいわゆる土着から切り離されてコスモポリタン化した知識人だったってのは、ナショナリズム一般を考える上でもおもしろい。
ルーマニアでもそうだったんだろうか。ジョルジェ・エネスクはルーマニア人の作曲家で私が知っている唯一の作曲家なんだけど、その天才振りが見込まれて7才でウィーンで音楽を学んでいる。彼を有名にしたのは、ルーマニアの民俗音楽のテーマてんこ盛りのルーマニア狂詩曲(2曲)だし、まあここまでは典型的なナショナリスト音楽家のキャリアみたいだ。
でも、その後の彼の音楽には、民俗音楽的な要素は、もちろん入っているには違いないけど、そんなに目立った感じはしない。僕が特に好きなのは第一次世界大戦の頃書かれた交響曲2番で、第一楽章の途中で登場するノスタルジックなテーマ(これが全楽章を通じて繰り返し形を変えて現れる)には背筋がぞくぞくしてしまう。にぎやかな最終楽章のどまんなかにふっと登場し、揺らぎながら消えていくところなんてたまらない。ただ全体に、ちょっと複雑で印象派風でもあるし、どことなく雑多な要素が詰め込まれたとらえどころがないような感じの曲でもある。3曲書いた交響曲のうち、この2番だけが結局出版は彼の死後になったことからもわかるように、最後まであれこれ手を入れられ続けていたらしい。でもとにかく魅力的な曲。
こうした不思議なエモーションに満ちた曲の後は、晩年の静謐なピアノ五重奏曲で締めるのが吉。
by Kalimbo_Mwero
| 2005-05-13 21:33
| music
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