2005年 05月 18日
Martinu |
考えてみたら東欧ではチェコはずば抜けて多くの作曲家を生んでいるような気がする。ルーマニアとは比べ物にならないのは言うまでもない。スメタナ、フィビヒ、ドヴォルザーク、スーク、ヤナーチェク、そしてマルティヌー。いずれも好きな作曲家ばかりだが、マルティヌーは他の面々と並べるとちょっと知名度は低いかもしれない。おまけにちょっと異色だ。
マルチヌーの父親は靴屋だったが、一家はチェコの田舎町ポリチカの聖ヤコブ教会の鐘楼の上で暮らしていた。塔の上から町の火災を監視する役をつとめていたらしい。 少年時代をこの鐘楼のなかで鐘の音を聴きながら過ごしたマルティヌーは母親からヴァイオリンの手ほどきを受け、やがて音楽の才能を発揮し始める....と、まあCDの解説に書いてある話なのだが、その後六人組の活躍するパリで頭角をあらわした。マルティヌーの音楽をつらぬいているモダニズムはこの時代のもので、あふれる諧謔精神とシンコペーションを多用した独特の跳ねるようなリズムが特徴。でもそれに、分厚く、それでいてなんとなく空中を浮遊するような不思議な和音と、叙情的でノスタルジックな旋律がミックスされていて、とても不思議な、ほとんどマルティヌー節と呼びたくなるような(反面、マルティヌーの音楽はどれを聴いてもなんとなく似ているような気がする)独特の音楽を形作っている。それがすごくいい。月並みな解釈だけど、パリの都会的なセンスと、チェコの田舎町で形成された素朴な憧れや追憶のディスポジションが、完全に溶け合わないまま共存してるという、だいたいそんな感じ。だから6人組のミヨーのような音楽とは似ているようでまるで違うし、チェコの他の作曲家たちの流れともちょっと隔絶した不思議な雰囲気をたたえているのだ。
僕が特にすきなのは交響曲の1番と6番、それに2曲のヴァイオリン協奏曲。室内楽の小品もどれもこれも---似ているけど---おかしく味わい深い。今日は世界大戦前の不安な予感に満ちた「ティンパニと弦のための二重協奏曲」を久しぶりに聴いた。同じCDのなかの「ピアノと小オーケストラのためのシンフォニエッタ・ジョコーザ」もバロック風味がちょっと脱力したとてもへんてこでいい感じの音楽。
マルティヌーはナチを逃れてパリからアメリカに亡命し、その後死ぬまで故国の土を踏むことがなかった。ディアスポラの作曲家でもあった。
マルチヌーの父親は靴屋だったが、一家はチェコの田舎町ポリチカの聖ヤコブ教会の鐘楼の上で暮らしていた。塔の上から町の火災を監視する役をつとめていたらしい。 少年時代をこの鐘楼のなかで鐘の音を聴きながら過ごしたマルティヌーは母親からヴァイオリンの手ほどきを受け、やがて音楽の才能を発揮し始める....と、まあCDの解説に書いてある話なのだが、その後六人組の活躍するパリで頭角をあらわした。マルティヌーの音楽をつらぬいているモダニズムはこの時代のもので、あふれる諧謔精神とシンコペーションを多用した独特の跳ねるようなリズムが特徴。でもそれに、分厚く、それでいてなんとなく空中を浮遊するような不思議な和音と、叙情的でノスタルジックな旋律がミックスされていて、とても不思議な、ほとんどマルティヌー節と呼びたくなるような(反面、マルティヌーの音楽はどれを聴いてもなんとなく似ているような気がする)独特の音楽を形作っている。それがすごくいい。月並みな解釈だけど、パリの都会的なセンスと、チェコの田舎町で形成された素朴な憧れや追憶のディスポジションが、完全に溶け合わないまま共存してるという、だいたいそんな感じ。だから6人組のミヨーのような音楽とは似ているようでまるで違うし、チェコの他の作曲家たちの流れともちょっと隔絶した不思議な雰囲気をたたえているのだ。
僕が特にすきなのは交響曲の1番と6番、それに2曲のヴァイオリン協奏曲。室内楽の小品もどれもこれも---似ているけど---おかしく味わい深い。今日は世界大戦前の不安な予感に満ちた「ティンパニと弦のための二重協奏曲」を久しぶりに聴いた。同じCDのなかの「ピアノと小オーケストラのためのシンフォニエッタ・ジョコーザ」もバロック風味がちょっと脱力したとてもへんてこでいい感じの音楽。
マルティヌーはナチを逃れてパリからアメリカに亡命し、その後死ぬまで故国の土を踏むことがなかった。ディアスポラの作曲家でもあった。
by Kalimbo_Mwero
| 2005-05-18 23:59
| music
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