2008年 09月 10日
薬売り |
一番目に付く変化は景観の変化で、とりわけこの10年ほどのあいだに、木々ががどんどん伐採され、ブッシュが姿を消していっている。今回、特にそれを感じたのは、私が滞在している屋敷からチャリの屋敷まで、去年までは見通しのきかない叢林の中の小道をとぼとぼ40分ほど歩く感じだったのが、今年はこの道のかなりの部分で両側がすぐ切り開かれた耕地になっていて、すかんと見通しがよくなってしまったせいだ。こんなに耕地が迫ってきていたとは去年までは気がつかなかった。チャリは、おかげで怖くなくなったと喜んでいるのだが、私は一人っきり感を楽しめる貴重な機会を奪われてちょっと物足りない。
ブッシュの消失は、別の方面でも思いがけない変化を生んでいる。前振りが長くなってしまったが、今回私がはじめて出会ってびっくり仰天した(大げさじゃなく)ことの一つに、施術師御用達の薬草売りの存在がある。ついにここまで来たか、という感じ。
施術師たちは、従来自分たちでブッシュで草や木の葉、木の根を集めていた。私もいろんな施術師の木の根ほりや、薬草集めにずいぶん同行したものである。10年くらい前から、これはかなりたいへんな仕事になりつつあった。たとえば、ドゥルマ系の憑依霊に不可欠なムランゼと呼ばれる木の根。チャリが子供の頃までは、ドゥルマの女性はダンスなどに出かけるときにはこの木の根を粉にしたものを身体に塗って香りをつけていた。女性が傍を通っただけで、その香りが漂ってきて、男たちは夢中になったものだそうだ。以前にはありふれていた木だったという。しかしすでに10年前ですら、この木の根を掘り出すために、20キロ以上歩かねばならなかった。その他の治療に不可欠な木についても、入手が年々難しくなってきていたのだ。
というわけで、施術師のお得意さんを回って注文を聞き、代わりに木をとってくる薬売りが、ついに登場したというわけだ。私は気がついていなかったが2~3年前からという。彼らは象に襲われる危険を冒してクワレ地区の保護林に潜入し、こっそりいろいろな木の根を調達してくるのである。必要はなんとかの母。需要あるところに供給ありである。
しかし、ちょっと待て。これまでチャリは、木はただ採ってくれば良いというものではないと強調してはいなかっただろうか。ちゃんと呪文を唱え、自分がどのような理由でそれを掘り出しにやってきたのか、説き聞かせた後に初めて掘り出せたのではなかっただろうか。憑依霊たちの同意のもとでしか取れないのではなかっただろうか。現に今でも、近所で薬草を採る際にはチャリはこの呪文と語りかけを欠かさない。薬売りのおっさんから買っちゃっていいのか??
....などと言ってもしかたないのだろう。規則は現実に常に妥協するのだな。きっと。
(Pentax K100 + DA16mm-45mm f4.0)
by Kalimbo_Mwero
| 2008-09-10 23:01
| anthropology
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