2013年 09月 20日
サイクル工房 |
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by kalimbo_mwero
| 2013-09-20 19:50
| anthropology
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2013年 09月 20日
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by kalimbo_mwero
| 2013-09-20 19:50
| anthropology
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2013年 09月 19日
ご近所のキリスト教徒仲間の結婚式があるというので、カタナ君一家はドレスを新調したり、おしゃれ気分。小学校2年生のカホンジちゃん(三女)も、近所のおばさんに髪を結ってもらうことになりました。巻き髪を解いてまっすくに伸ばし、それを三つ編みのように何本もより合わせてまとめるムソンゴmusongoというヘアスタイルです。近所のおばさんは、町のヘアサロンで働いた経験を生かして腕を振るいます。
やがて9月1日、学校が始まるので、子どもたちは全員髪を剃られてしまいました。カホンジちゃんはこのままにしていたいと大泣き。 #
by kalimbo_mwero
| 2013-09-19 23:27
| anthropology
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2013年 09月 17日
ドゥルマのネコたちについては以前にも書いたように、飼われているというよりは、ネズミをとってくれて都合がよいので共存を許されているだけ、という感じで、とりわけ可愛がられていたり、エサを与えられたりはしていない(ときおり食事のあまりモノを投げ与えられたりしているが)。名前も普通はつけない。というわけで、一つ屋敷で一緒に暮らしていながら、人が近づくと逃げるという野生なキャツらなのだが、キャツ・マスターたる私がそのような状態を放置するわけがない(去年は結局お近づきになれなかったが)。カタナ君の屋敷に昨年からいるキャツを、今年はなんとかてなづけることに成功。
悪い癖をつけてしまって、申し訳ない。 #
by Kalimbo_mwero
| 2013-09-17 22:19
| anthropology
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2013年 09月 15日
今年「ジャコウネコの池」村に起きた最大の変化は、なんといっても、これらの電信柱と送電線でしょう。私が到着したときには、まさにそれを立てている真っ最中でした。これまでも1970年代から、キナンゴの町までは送電線が引かれており、80年代の末にはキナンゴの商店の中にも冷蔵庫で冷えたソーダを売る店が出現するなど、キナンゴの町を中心に電気の利用は進んでいました。でもキナンゴの町を一歩出ると、ドゥルマの大部分の地域では電気は利用できませんでした。が、なんとキナンゴについで、「ジャコウネコの池」村と隣接するドゥンブーレ、グァドゥの村に送電線が引かれることになったのです。トランスが設置されさえすれば、電気はやってきます。もちろんそこから各自の屋敷まで、電信柱を立て送電線を引くのは、電気を引こうとする屋敷の負担になります。またメーターを据えたりの初期費用も馬鹿にはなりません。だからいきなり電気が普及するというわけには行きそうにありません。大部分の人々にとっては電気の恩恵を受けるのはまだまだ先のようです。でもすでに送電線に沿った屋敷の数軒で、電気を引く用意を整え始めています。この地域のドゥルマの人々の暮らしをおそらくは激変させるだろう変化が起ころうとしているのです。 なぜ、キナンゴについで、この地域が選ばれたのかについては、この村出身の一人の青年の尽力があったとされています。この1985年生まれの青年は、ジョモ・ケニャッタ大学の経済学部を卒業後、会計士の職を経て、ケニア・ナショナル・バンクの職を得ましたが、多くの出世したドゥルマ人が、自分の出身地から遠く離れた都会での生活を好み、村には帰ってこないのとは対照的に、「ジャコウネコの池」に本拠地をすえ、地域の発展に貢献しようとした点で、かなり例外的な青年でした。高給取りとなった彼は、貧しい親族の子どもの学費を補助したりする一方で、当地に電気を引く活動に熱心に取り組んできました。住民から署名を募り(昨年、この署名が回ってきて、私の友人のカタナ君も早速自分に電気を引く意思があることを表明していました)、援助団体の資金援助を求めたり、政治家と掛け合ったりして、ついに新政府のもとで電気の誘致に成功したのです。若い世代のリーダー的な存在でした。 不幸にも、彼は私がフィールドに入る一週間前に不慮の死を遂げました。職場の近くの自宅のテレビアンテナを延長しようとして、誤って高圧電線に接触してしまい、感電死してしまったのです。私が到着したとき、地域の人々のあいだでは彼の死の「真相」をめぐるさまざまな噂話にもちきりでした。それを単なる事故と考える人などほとんどいませんでした。 あるセクションでは、電気を導入しようとした彼が感電死したことには大いに関係があると考えていました。電気が来ること自体を快く思っていなかった奴らがいたのだというのが彼らの主張です。ある妖術使いの老人は、電気をもたらした彼を恨み、彼に雷の妖術をかけたのだというのです。そのうわさの長老が所属している当のセクションでは、まったく別の話で盛り上がっていました。青年の出世をねたんだ青年の親族のある者が、自らが裕福になるために「悪魔崇拝」に帰依しており、自らの富と引き換えに、その青年を犠牲として悪魔崇拝の集団に差し出したのだというのです。悪魔崇拝の噂を立てられている当の家族の人々(熱心なキリスト教徒)は、青年があまりにも立派で完全無欠の善人だったため、神が彼を愛するあまり、彼が俗世の悪に汚染されるのが見ていられず、善人で清いままで自分のもとにお召しになったのだと、人々から愛される善人が早世するのはそうした理由だと語っていました。このキリスト教徒たちは、同じ村に近年出現した別のキリスト教の分派に対して敵対し、その追放を企てていたのですが、その先頭に立っていた一人が、死んだ青年でした。追放されそうになっていたキリスト教の分派の人々は、当然青年の死が自分たちに仇をなそうとした人々に対する神が下した罰だと語っていました。 もうなにがなんだかわからない状況ですが、とにかくこの村に近いうちに電気がやってくるという展望と、その真っ只中で起きた青年の死は、この村の中に走る無数の人間関係の亀裂を明るみに出してしまったようです。 #
by kalimbo_mwero
| 2013-09-15 23:24
| anthropology
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2013年 09月 14日
この道は、人々をモンバサに結ぶ幹線道路であるにもかかわらず、度重なる要望にも関わらずアスファルト舗装されないまま、ときおりトラクターで整地するのみで、雨が降るたびにずたずたになり、ときに通行不能になることもある、悩みの種の道でした。車はそろそろとしか走れず、そのためかモンバサまでの料金も、距離のわりには高いと人々はこぼしていました。新政権が成立してすぐ、この道が立派に舗装されたのでした。人々が望んでいたアスファルト舗装ではありませんでしたが、マラムと呼ばれる赤褐色の砂礫土で表層を固めた赤い道が丘陵地帯を突っ切っています。デメリットとして、いまや車は時速60キロを越える速度で突っ走るので、怖くて、今までみたいにのんびり道の真ん中を歩けなくなったとこぼす人々もいます。けれどもこの道は、新憲法が当地にもたらした「発展 maenderero」だとみんな得意げです。 新憲法がケニアの政治システムにもたらした大きな変化のひとつが、地方行政のシステムでした。独立以降も、ケニアの地方行政のシステムは植民地時代のシステムを継承していました(独立直後は、地方自治を重視した一種の連邦制だったのですが、初代大統領ケニャッタによって中央集権的な支配体制が整備されるにともない、植民地時代のシステムに逆戻りしたのです)。 ケニアは8つのプロヴィンス(州)40いくつのディストリクト(県)に区分されていましたが、プロヴィンシャル・コミッショナー、ディストリクト・コミッショナーと呼ばれるそれぞれの知事は、住民の選挙によらず、直属の上司そして大統領のみに説明責任を負う、大統領によって任命された大統領府所属の官僚で、彼らが地方行政、開発、治安維持の権限を一手に握っていました。植民地時代の現地人支配のシステムが独立後も自国民を支配する手段としてそのまま転用されたものだったのです。2010年に成立した新憲法下では、従来のディストリクトに代わって、自らの財源を持ちそれを自由に運用する権利があるカウンティ(従来のディストリクトとほぼ一致)と呼ばれる単位が地方行政の単位となり、各カウンティのガバナー(知事)は、住民の投票により選出されることになりました。 この新たに選出されたクワレ・カウンティの知事が最初にやった仕事が、まさに人々が要望し続けて実現しなかった、幹線道路の舗装だったというわけです。誰もが、新しいカウンティ政府と知事の仕事を賞賛しています。なかには、自分を手っ取り早く人々に印象付けるための知事のスタンドプレーだとか、マラム舗装などもって数年でだめになるとか、 批判的なコメントをする人もいないではないですが、誰もがこの幹線道路の舗装を、新時代を予感させるしるしと考えているようです。中央政府が各カウンティに配分する予算はけっして十分とはいえず、またその配分にもまだまだ不透明な部分もあり、この新しいシステムがうまく機能するかどうかは、今後しだいといったところがあります。 でも「ジャコウネコの池」の人々は楽観的です。ヤシ酒を飲みながら、「新憲法 katiba iphya!」を乾杯の音頭にしたりしています。 #
by kalimbo_mwero
| 2013-09-14 23:14
| anthropology
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